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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)7585号 判決 1996年12月16日

原告

甲野太郎

甲野次郎

右法定代理人親権者父

甲野太郎

右両名訴訟代理人弁護士

山崎昌穂

被告

学校法人大阪医科大学

右代表者理事

田中忠彌

右訴訟代理人弁護士

谷村和治

右訴訟復代理人弁護士

岡惠一郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野太郎に対し金三六八三万五〇〇〇円、原告甲野次郎に対し金三五八三万五〇〇〇円及びこれらに対する平成四年一一月六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は、亡甲野花子(以下「花子」とい。)の夫であり、原告甲野次郎(以下「原告次郎」という。)は、花子の長男である。

(二) 被告は、大阪医科大学附属病院(以下「被告病院」という。)の経営者である。

2  診療契約の締結

花子は、被告との間で、平成四年五月二五日、当時の医療水準における専門的知見及び技術を駆使して、最も有効かつ安全な方法で、花子の疾病を理解し、その疾病に最も有効かつ安全な治療法を選択して実施することを内容とする診療契約を締結した。

3  花子の死亡に至る経過

(一) 花子は、昭和四一年一月一五日生れで、元気な生活をしていた。

(二) 花子は、平成四年五月一六日、突然、入浴中に頭痛及び吐き気をもよおし、救急車で近くの病院に搬入され、同月二五日、専門医のいる被告病院に入院した。

(三) 被告病院の担当医師(以下「担当医」という。)は、同年五月二七日から同年六月四日にかけて、花子に対し、コンピュータ断層撮影検査(以下「CT検査」という。)核磁気共鳴画像検査(以下「MRI検査」という。)及び脳血管造影を行い、脳動静脈奇形を発見した。そして、同年六月一七日から同年八月一二日にかけて、段階的に塞栓術(血管を治療時に閉鎖するために、循環に特定の物質を導入する。)を行い、同年九月三日及び同年一〇月一日、脳動静脈奇形の前半部分の摘出手術を行った。

(四) さらに、担当医は、同年一〇月一五日午後一時頃、脳動静脈奇形の後半部分(深層部分)の塞栓術の可能性を検討するため、脳血管造影(以下「本件脳血管造影」という。)を行ったが、右造影中、カテーテルの先端が離断し、脳血管内に遺存した。

(五) 花子は、同日午後七時四五分頃、被告病院の長澤史郎助教授(以下「長澤助教授」という。)から、「カテーテルが切れて、一部が脳血管内に残り緊急を要する手術が必要である。」等と説明を受け、同日午後九時頃から翌一六日午前六時頃まで、遺存カテーテル除去術が施行された。右手術によって脳血管内の遺存カテーテルは取り除かれたものの、花子は、脳室内出血を併発し、同日午後七時頃、後頭下減圧術及び血腫除去術が施行されたものの、同月一七日午前〇時頃、脳死状態となり、同年一一月六日、死亡した。

4  花子の死亡原因

花子は、本件脳血管造影中にカテーテルの先端が離断し脳血管内に残存したこと及びその回収手術による脳に対する侵襲によって、脳室内出血を併発し、死亡したものである。

担当医の田中英夫医師(以下「田中医師」という。)は、同年一〇月一五日、家族らに対し、「カテーテルの離断があり、それにより椎骨動脈系の流れが遮断され、前方の動静脈奇形より出血が生じた。」と説明しているし、同月一七日には、「カテーテル及びワイヤーの遺残による直接の症状、事態ではない。」と説明するようになったものの、「但し、それを契機に起こったことは紛れもない事実である。」と認め、推測される原因の一つとして、カテーテルが離断するまでに、やはり無理な外力により流入動脈などの歪曲が起こり、流入静脈の損傷が加わったことを挙げていたのである。

5  担当医の本件脳血管造影における注意義務違反

(一) カテーテルの欠陥・担当医の操作ミス

本件脳血管造影におけるカテーテルの離断は、本件カテーテルが、本来持つべき安全性、安定性を欠いていたのか、そうでないとすれば、カテーテルを挿入していく過程又は血管攣縮によってカテーテルが捕捉された時に、担当医が無理な操作をしたことによって発生したと考えざるを得ない。

(二) 担当医の説明義務違反

(1) 脳血管造影法は、首の脳動静脈の血管からカテーテルを通し、カテーテルから目的部位に造影剤を注入する方法で、極めて試行的な検査方法である。このように試行的な治療行為を行う場合、医師は、患者に対し、①試行的な治療行為であること、②当該疾病に対する有効性とその合理的根拠、③当該患者における必要性とその合理的根拠、④試行的治療行為実施の成否を審査する第三者機関の有無、及びそれが存在する場合の承認の有無、⑤リスク(特にそれによる患者の死亡、重大な後遺障害発生の危険性)の具体的内容及び発生頻度、⑥右危険に対する対応措置の内容、⑦従来取られてきた治療方法(対処療法を含む。)と試行的な治療行為との比較、⑧当該医療機関、他機関での試行程度及びその結果、⑨患者が試行的治療行為を拒否でき、拒否しても何ら不利益処置も受けないこと、⑩一旦試行的治療行為を承諾しても、いつでも拒絶、中止を求められることについて、説明義務を負っている。

(2) 本件脳動静脈奇形の治療法には、保存的治療をしたうえで経過観察を行うという方法もあったのであるから、担当医は、塞栓術及び開頭手術の併用療法(さらに奇形部分が三センチメートル以内になったときにガンマナイフによる治療)を施行するのであれば、花子に対し、右治療を受けるかどうかを判断、決定する前提として、①手術の意義、②有効性、その合理的根拠(有効性に関する議論の余地がある場合にはその議論の状況)、③手術に伴う合併症の有無、④手術を行わなかった場合の危険性、⑤代替的治療方法の有無などについて十分な説明を行うべきであった。しかし、担当医はこれを行わず、特に田中医師においては、脳血管手術及び検査の専門家であったため、保存的治療は検討せず、花子に対し「破裂脳動静脈奇形は文献上一年目に六パーセント、翌年から毎年三パーセントずつの危険率で再破裂をきたし、現時点での根治が望まれる。」等として塞栓術を強く勧めており、花子に選択の余地を与えなかった。

よって担当医は、花子に対し、説明義務違反の責任を免れない。

6  損害

(一) 花子の損害(逸失利益)

四五六七万円

(1) 花子は、本件脳血管造影当時二六歳の女子であり、爾後六七歳に至るまでの四一年間、二六歳女子の平均給与額である年収二九七万円を得ることが可能であったと考えられるから、右金額を基準に生活費として三割を控除し、新ホフマン式計算法により中間利息を控除して逸失利益を算出すると、次のとおり四五六七万円(一〇〇〇円以下切り捨て)となる。

2,970,000円×(1−0.3)×21.97=45,675,630円

(2) 原告太郎と同次郎は、法定相続分(各二分の一)に従って、花子の右逸失利益の損害賠償請求権を相続した。

(二) 原告太郎の損害

一四〇〇万円

(1) 葬儀費用 一〇〇万円

(2) 慰謝料 一〇〇〇万円

(3) 弁護士費用 三〇〇万円

(三) 原告次郎の損害

一三〇〇万円

(1) 慰謝料 一〇〇〇万円

(2) 弁護士費用 三〇〇万円

7  結論

よって、原告らは、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求として、原告太郎に対し、金三六八三万五〇〇〇円、原告次郎に対し金三五八三万五〇〇〇円及びこれらに対する花子の死亡日である平成四年一一月六日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2は認める。

2(一)  同3(一)は不知。

(二)  同3(二)ないし(五)は概ね認める。

3  同4は否認する。花子の死因となった脳室内出血は、脳動静脈奇形という病変の特異性によって生じたものであり、本件脳血管造影中のカテーテルの離断、遺残及びその回収のための開頭術との間に因果関係はない。

4(一)  同5(一)は否認する。担当医は、本件脳血管造影に際し、新しいマイクロカテーテルを使用し、慎重かつ愛護的に操作を行ったもので、無理な操作を行ったことは決してない。マイクロカテーテルとガイドワイヤーの離断は、血管攣縮によりこれらが補捉されて起こった偶発的事故である。医師は、血管攣縮によるガイドワイヤー等の補捉という事態に対し、欠陥拡張剤を動脈内に投与して緩解を待つ等の的確な対処法を取り、最終的には開頭術によりこれを回収したもので、これら担当医の処置につき診療義務違反は認められない。

(二)  同(二)は否認する。担当医らは、脳血管造影及び段階的塞栓術を施行するにあたり、花子及び家族に対し、その都度繰り返し、①患者の脳動静脈奇形の状態、②本件治療行為の内容、③合併症により如何なる事態がおこるかも知れない等の危険性、すなわち脳血管造影法はその手技の性質上血管攣縮の可能性があり、それに対応して開頭術が必要な場合のあること、本件脳動静脈奇形の治療は、塞栓術や摘出術により疾患部位が小さくなっても、完全に消失しない限り出血の可能性があり、また脳動静脈奇形は小さいほど出血率が高い事実があり、治療が進むにつれそういった段階を経なけらばならないことを十分説明し、花子及び家族の承諾を得ていたもので、説明義務違反は認められない。

5  同6は争う。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これらの各記載を引用する。

理由

一  請求原因1、2は、当事者間に争いがない。

二  請求原因3 (花子の死亡に至る経緯)について

当事者間に争いのない事実(請求原因3の(二)ないし(五))と、甲第一、第二号証、乙第一ないし第八号証、検乙第一号証、証人田中英夫の証言、原告太郎本人尋問の結果、鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  発症(脳室内出血)

花子(昭和四一年一月一五日生まれ)は、平成四年五月一六日午後一〇時頃、入浴中、突然激しい頭痛に襲われ、意識消失は伴わなかったものの、さらに嘔吐が出現し、そのまま近所の福田病院に救急搬送された。同病院では、花子につきCT検査上の異常を確認し、直ちに翌一七日午前二時すぎ、同人を畷生会脳神経外科病院(以下「畷生会病院」という。)に搬送、入院させた。同病院において、CT検査及びMRI検査がなされ、左側脳室前角から両側側脳室体部、一部第三脳室内に出血と認められる高吸収域が認められ、また左帯状回から後方は脳梁全体に亘って不均一な造影効果があり、ガレン大脳静脈及び大脳間裂に拡張、蛇行した脳動静脈奇形の導出静脈様の造影効果等が認められた後、同月一九日、脳血管造影検査(選択的造影)によって、脳動静脈奇形の確定診断が下された。

2  被告病院入院及び家族への説明

花子は、同年五月二五日、畷生会病院の紹介を受けて、専門的治療のため、被告病院に搬送され、入院した。花子の入院時の容態は、多少の嘔気と頭痛を訴えるのみで、神経学的異常所見は認められなかった。被告病院脳神経外科では、田中医師及び多田祐一医師(以下「多田医師」という。)が花子の主治医となり、治療行為は脳血管内手術を専門とする田中医師が、患者との細かな接触は多田医師が行うこととし、治療行為は医局の討論で決めることとした。

田中医師は、同日、畷生会病院で行われた各種検査結果並びに被告病院で当日行われたX線検査及びCT検査の結果から、花子につき、脳動静脈奇形(血管塊は脳梁全体に亘る)破裂による脳室内出血であるとの確定診断を下し、同日、原告太郎及び花子の実母である訴外○○(以下、両名を「家族ら」という。)に対し、「脳動静脈奇形の破裂による脳室内出血がある。今回の出血は軽度で、神経症状も殆どないが、再破裂による大出血が最も怖く、神経症状の悪化、死亡も充分考えられる。痙攣発作の可能性もある。水頭症は現在はないが、これが進行して意識状態が悪化する可能性があり、これを取り除くためのドレナージ手術もあり得る。脳動静脈奇形については、畷生会病院の検査で大体のことは把握できているが、もっと詳細な情報が必要である。治療は、塞栓術を行った後、摘出術を施工するのが理想的だが、場所、大きさによって非常に難しい。」等と説明した。

3  脳動静脈奇形及びその治療方法

脳動静脈奇形とは、脳血管発生のある時期に、毛細血管の形成を欠き、限局した部位の動脈と静脈とが直接吻合した奇形であり、流入動脈から毛玉のような病変部を介して直接流入静脈へとつながっている疾患である。右疾患の確定診断は、脳血管造影による。脳血管造影とは、頸動脈、椎骨動脈に造影剤を注入し、動脈、毛細管、静脈内の造影剤の流れをX線フィルムで観察する方法であり、カテーテルを動静脈内に挿入して行う脳血管造影のうち、カテーテルの先端を頸部血管まで入れて造影する方法を選択的血管造影法といい、さらにマイクロカテーテルを使用して、頭蓋内にまで入れて造影する方法を超選択的造影法という。

一度出血した脳動静脈奇形の再出血率は、最初の一年間は六パーセント、それ以降は年間二パーセントから三パーセントであり、他方、本疾患に対する外科的治療法としては、①開頭手術による脳動静脈奇形の全摘出並びに②段階的塞栓術及びガンマナイフを用いた定位的集中的放射線療法の併用、すなわち病変部の血管に塞栓物質を注入して閉塞し、手術時の病変血管からの出血を予防する手術である塞栓術を段階的に施し、奇形部の血管を閉塞したうえ部分摘出を行い、脳動静脈奇形を可能な限り縮小し、病巣が三センチメートル以下に縮小した後に、ガンマナイフによる治療を行う方法があり、後者の方法は近年多用される傾向にある。

4  第一回脳血管造影の実施

田中医師は、同年五月二七日、花子につきMRI検査を行い、脳深部に概算前後八センチメートル、上下六センチメートルに及ぶ脳動静脈奇形が存在することを確認した後(乙二・二七頁)、さらに病巣の詳細な診断及び以後の治療を検討するためにマイクロカテーテルによる脳血管造影を施行することとし、同年六月二日、家族らに対し、右造影方法及びその必要性について説明したうえ、その承諾を得た(乙二・二四一頁)。

田中医師は、六月四日午後一時頃から午後五時頃まで、花子につき右大腿動脈からセルジンガー法による脳血管造影を実施し、ミニカテーテルを左前大脳動脈A2からA4(脳梁周囲動脈)まで挿入して脳血管造影を行い、その結果左前大脳動脈から造影される血管塊にはA4、A3、A2からの栄養血管群による三つの部分が存在し、それぞれ内大腿静脈に流入する三本の導出静脈によってドレナージを分担することを確認した。なお、花子は、超選択的カテーテル操作中、泣きながら頭痛を訴えていた。田中医師は、同月五日、家族らに対し、病変の全貌、詳細が明らかになりつつあり、来週中頃、医局全員の討論により治療方針が決まるであろうが、治療はやはり非常に困難であることを説明し、花子本人に対しても、治療に望む心の準備のため、田中医師から、事実を伝えることを話した。

5  花子の治療方針の決定

第一回脳血管造影により、花子には、脳梁部の全域に亘り前後長さ約六ないし七センチメートル、幅約三センチメートル、高さ約五センチメートルの脳動静脈奇形が存在することが確認された。同年六月六日、被告病院脳神経外科医局では、花子の治療についての検討会が行われ、右疾患の抜本的治療については、病変が大脳深部に存在し、後方部は間脳脳幹部に隣接しているので、侵襲の多い全身麻酔下での開頭手術により広範囲の脳動静脈奇形の全摘出を図ることは極めて困難かつ危険であるから、塞栓術を段階的に施し、奇形部の血管を閉塞したうえ部分摘出を行い、脳動静脈奇形を可能な限り縮小し、三センチメートル以下に縮小した後に、病変後方部をガンマナイフによる治療を行う方法をとるのが最善であるとの結論が出された。その他、患者自身の精神面を考慮した情報提供と同意の徹底を図ること及び中程度の発熱が続いているため発熱の原因を探索すること等の治療方針が決定された。

田中医師は、これを受けて、同月七日、花子自身に対し、①前記脳動静脈血管奇形が存在すること、②脳動静脈奇形の再破裂の可能性は、脳内出血初年度は六パーセント、その後は年二、三パーセントであり、出血すれば生命に対する危険があり、若いうちに直したほうがよいこと、③これに対する特効薬はほぼないこと、④治療法としては段階的塞栓術後に摘出術を行うという方法があること、⑤病変が三センチメートル以下の大きさになれば、ガンマナイフによる治療が可能であること、⑥奇形の場所及び大きさから治療が非常に難しく、治療開始後の悪化により、神経症状や意識障害が出たり、場合によっては、致死的となることもあること等を説明した。

6  病変前方部に対する塞栓術及び摘出術の施行

田中医師は、花子につき、同年六月一七日、七月八日、七月二三日、八月五日、八月一二日の五回に分けて、病変前方部の塞栓術を施行し、同年九月三日、塞栓術で閉塞効果の得られた病変部前方の脳動静脈奇形部の部分摘出術を施行した。さらに、同月九日、マイクロカテーテルによる脳血管造影により、前方奇形が残存していることが確認されたため、同月一六日、右残存部位に対する塞栓術を施行して、同年一〇月一日摘出術を施行し、これを成功させた。

花子は、同年六月一七日のカテーテル操作中、一時的に意識状態が悪化し、何度も嘔吐する等の症状を示し、CT検査においての軽度のクモ膜下出血が認められたが、保守的に加療し短時間で意識は回復した。また、花子は、同年八月五日、頭痛を訴え、同様に軽度のクモ膜下出血が認められたが、経過観察で問題なしとされた。田中医師は、手術中、出血等の合併症に注意し、花子が頭痛を訴えた場合には、操作を止めて様子を見るなどの措置を取っていた。

なお、田中医師は、花子及び家族らに対し、右手術に関し、それぞれ六月一六日、七月七日、同月一五日、八月五日、同月一一日、九月九日、同月一五日、同月二九日、事前に手術内容を説明し、手術にあたっては、頭の中に管を入れるため、他の部位の出血の危険性が高くなること、カテーテルと血管との間で摩擦が起こって血管が切れる可能性があること等の危険性について説明し、承諾を得ていた(乙二・二四一―二から一一頁)。

7  本件脳血管造影に対する説明

田中医師は、同年一〇月一日に前記摘出手術を終えた後、花子及び家族らに対し、病変前方部の摘出を行ったこと、病変後方部分はガンマナイフによる治療に持ち込めると考えられるが、三センチメートルを超えるときは、再度後大脳動脈経由の塞栓術が必要であり、経路の違いから新たな危険性も考慮しなければならず、病変部の状態を確認するため超選択的造影を行う必要があること等を説明した。さらに多田医師も、同月一四日夕方頃、花子及び家族らに対し、本件脳血管造影は、病変後方部の奇形の大きさと状態を確認するためのものであること、三センチメートルを超えないときには、ガンマナイフによる治療を行えること、造影中は、塞栓症、出血などの危険があること等を説明した。家族らは、これまでに、数回手術についての説明を受けてきたが、脳血管造影は検査であり、塞栓術よりは危険性が低く、右検査が終われば、ガンマナイフによる治療に進めるものと理解して、右検査を承諾した(乙二・二四一―一二頁)。カテーテルがその操作中に離断する危険性については、田中医師自身も経験したことがなく、可能性は低いと考えていた。

8  本件脳血管造影の施行と中止

田中医師は、同年一〇月一五日午後一時、本件脳血管造影を開始した。田中医師は、病変前方部の残存部について脳動静脈奇形が全く造影されず、塞栓術が成功したことを確認し、同日午後二時一五分頃から、病変後方部の左椎骨動脈撮影を行い、両側の後大脳動脈から後傍脳梁動脈及び内側脈絡叢動脈を介して脳動静脈奇形の存在を確認した。同日午後二時二〇分頃、親カテーテルを左椎骨動脈末梢に留置して、ガイドワイヤーを装着したマイクロカテーテルを導入し、三層の各隙間から血液に対し抗凝固作用のあるヘパリンを加えた生理的食塩水を持続的に灌流しながら、モニターによる透視下で、左後大脳動脈へマイクロカテーテルを選択的に挿入し、造影を行った。その際、花子が、多少の頭痛を訴えたが、カテーテルの操作を中止すると治まっていたため、田中医師は、脳血管の多少の屈曲によるカテーテルの牽引痛と理解し、午後三時一五分頃から、鎮痛剤(リセゴン一五ミリグラム)を静脈内に投与して、頭痛の程度が自制内であることを確認しながら、脳動静脈奇形残存部の前上方部分を診るため左後脳梁動脈への挿入を試みたが、マイクロカテーテル分岐部から先へ進まないので一旦断念した。次に、田中医師は、より中枢部で分岐する後内側脈絡叢総動脈への挿入を試み、後内側脈絡叢動脈から脳動静脈奇形の内側後半部を直接造影した。田中医師は、ガンマナイフによる治療で問題となるであろう周辺部分の造影のため、午後四時一〇分頃、左後傍脳梁動脈への挿入を再度試みたが、挿入はできなかった。そのため、田中医師は、午後四時五〇分頃、右後大脳動脈から右後傍脳梁動脈への挿入を試み、その分岐部付近まで挿入したところ、花子に嘔吐が出現したので、カテーテル操作を中断した。しかし、午後五時二〇分頃、花子に再度嘔吐があったため、田中医師は、これ以上の操作は無理と判断し、全ての手技を中止することを決定した。

9  カテーテルの離断

田中医師は、同日午後五時二〇分頃、モニター透視下でマイクロカテーテルをガイドワイヤーとともに抜去しようとしたが、カテーテル抜去困難を感じたため、ガイドワイヤーのみ抜去しようとしたが、同様に困難であったため、脳血管の攣縮によりカテーテルとガイドワイヤーが捕捉されたものと判断し、血管拡張剤であるペルジピン一ミリグラムをカテーテルから左椎骨動脈内に投与して、カテーテルに弱い牽引力を与えながら約一〇分待ったが、カテーテル先端部の位置が移動しないため、さらにヘパリン五〇〇〇単位を静脈内投与し、ペルジピン二ミリグラムを追加投与してカテーテルに弱い牽引力を与えながら様子を観察したが、先端部の位置は移動しなかった。田中医師は、午後五時五五分頃、花子の血圧が一〇五/五五と低めであったため、ペルジピン一ミリグラムを静脈内に追加投与して、ガイドワイヤーに弱い牽引力を加えていたところ、途中で急に抵抗が減弱したので、モニターでの観察により、ガイドワイヤーの先端部は移動しておらず、スプリングの中枢部がほどけているらしいことが判明したため、スプリングが先端部までほどければ、ガイドワイヤーだけでも抜去できるのではないかと考え、慎重に弱い牽引を続けた結果、ガイドワイヤーが途中で離断して中枢部のみが戻ってきた。田中医師は、残存したワイヤーがマイクロカテーテルの先端部に残置しているものと認め、マイクロカテーテルに慎重に牽引力を与えたところ、僅かな抵抗の後、今度はマイクロカテーテルが途中で離断した。

午後六時頃、田中医師は、花子に対し、ヘパリン一〇〇〇単位を投与した。花子は持続して嘔気を訴えていた。長澤助教授が駆けつけ、田中医師とともに、透視下でマイクロカテーテルとワイヤー断端の位置の確認に努めたところ、ガイドワイヤーは、後大脳動脈付近部からスプリングがほどけ、脳底動脈、椎骨動脈内へとつながって頸部で一部たわんでおり、マイクロカテーテルは、先端は脳底動脈遠位端付近にあり、離断した中枢側の長さからして、断端は頭蓋頸椎移行部付近の椎骨動脈内にあることが判明した。

10  開頭術の施行及び死亡

同日午後七時頃、田中医師は、さらにヘパリン一〇〇〇単位と制吐剤のプリンペランを花子に静脈内投与した。花子は、頭痛を訴え、嘔吐した。長澤助教授及び田中医師らは、他の専門医師の意見も聞くなどしたが、結局、親カテーテルからの右総頸動脈撮影、左椎骨動脈撮影では造影剤の血管外流出はなく、脳血管からの出血は認められなかったものの、血管攣縮には変化がなかったため、離断したマイクロカテーテルとガイドワイヤーを血管内より回収することは困難であり、このまま放置すると、血管内の異物から血栓症を広範にきたして、非常に重篤な状態になることが予測され、開頭をして手術的に摘出するしかないと判断し、長澤助教授は、田中医師に手術に必要な造影検査を指示するとともに、家族らに対し、マイクロカテーテルとガイドワイヤーを摘出するために開頭術が必要であると説明し、同人らから右手術の承諾を得た(乙二・二四一―一三頁)。午後八時三〇分頃、田中医師は、脳血管造影の操作を終了して、親カテーテルを除去するとともに、ヘパリンを静脈内投与して手術の準備を進めた。花子はこの間も頭痛と吐き気を訴えていたが、意識は清明であった。同日午後九時頃、花子は、家族に励まされて手術室に搬入され、午後一〇時頃、長澤助教授及び田中医師により、開頭術が施行された。手術では、後頭下開頭及び第一頸椎椎弓切除により、硬膜内外で左椎骨動脈を露出確保し、内部にカテーテルを確認し、血流を遮断して血管壁を切開し、遺残していたカテーテルの中枢側を血管外へ引き抜き、カテーテル断端から中枢側につながっていたスプリングのほどけたワイヤーとカテーテルを抜去し、残ったガイドワイヤーの末梢側に、新しいカテーテルの先端部分を約一〇センチメートル切断して、ほどけたワイヤーの上にかぶせながら、次第に血管の末梢側に挿入していき、血管壁とワイヤーの摩擦を減弱させたところ、抵抗が減弱しワイヤーの全てを抜去した。同月一六日午前三時三〇分頃、花子につき、血管壁の切開部を縫合して血流を再開した。

田中医師は、開頭時、後頭蓋窩の圧が高そうで、硬膜切開後も小脳半球がやや膨隆していたため、その付近の脳内出血あるいは脳室内出血による急性水頭症の可能性を疑い、両側脳室後角部の穿刺を行ったところ、両側ともやや血性の髄液の流出が認められたので、その排出を促すため両側脳室ドレナージを留置したうえ、閉頭した。花子は、同日午後五時一三分頃、ICUに入室したが、意識状態が悪く、同日のCT検査、MRI検査及び脳血管撮影により、右側脳室から第三脳室、一部左側脳室前角部内に高度の脳室内出血を認め、第四脳室の著明な拡大による脳幹部の圧迫が意識状態を悪くしていると認められえたため、田中医師は、家族らに対し第四脳室のドレナージ手術の必要性を家族に説明した上、午後七時三五分右手術を施行したものの、花子の意識レベルは回復せず脳死状態となり、同年一一月六日午後一一時五六分、花子は、心停止を来たし死亡するに至った。

三  請求原因4(花子の死亡原因)について

前記二10の認定事実と証人田中英夫の証言及び鑑定の結果によれば、開頭手術の施行後、花子の脳内出血は、右側脳室の全体を占め、さらに左側脳室、第三脳室、第四脳室に及んでいたものであり、花子は、脳梁の脳動静脈奇形残存部が破裂したことにより、脳内出血をきたしたものと認められる。これに対し、原告は、脳内出血の原因としてカテーテルの先端が離断、脳血管内に遺残したことやこれを回収するために開頭抜去手術をしたことによって、脳内出血が生じたと主張するが、前記二10認定のとおり、カテーテルの先端が離断したのは、平成四年一〇月一四日午後六時頃で、花子は、同日午後九時頃に、開頭術のため手術室に搬入されるまで意識が清明であったこと、翌一五日午前〇時頃、開頭時に脳圧が高かったことから、後頭蓋窩の圧が高そうであり硬膜切開後も小脳羊球がやや膨隆しており、この時点で花子の脳内出血が生じていたものと考えられるが、それは、カテーテルが離断してから少なくとも三時間は経過した後に発生したものであること、鑑定人吉本高志も、花子の脳動静脈奇形の出血が偶然起きたと考えるべきで、カテーテルの遺残との関連性については、これにより脳虚血が生じて脳梗塞の発症の危険があるが、出血自体の原因としては考えにくく、その後の摘出術と関連性も考えにくく、出血原因は不明であるとしていること、さらに田中医師自身も、本件出血原因として、術中嘔吐により血圧が上昇していたこと、脳動静脈奇形部分に選択的造影により圧がかかっていたこと、脳動静脈奇形は治療が進んで小さくなったときに出血の危険が増すこと、カテーテルが離断するまでに無理な外力により流入動脈などに否曲が起こり、その損傷が加わったこと等のいくつかの原因を推測しているが、特定はできないとしていること(乙二。一二六頁)等を総合考慮すると、花子の脳室内出血は、本件脳血管造影中、カテーテルの先端が離断、脳血管内に遺残したこと、あるいはそれを除去するために開頭術をしたことを契機として発生しているものの、それらに直接起因して脳内出血が生じたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

四  請求原因5(被告の注意義務違反及び説明義務違反)について

1  カテーテルの欠陥・操作ミスについて

(一)  カテーテルの欠陥の有無

乙第一、第二号証、検乙第一号証、証人田中英夫の証言、鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件脳血管造影では、親カテーテルに直径約一ミリメートルのマイクロカテーテルを通し、さらにその中にガイドワイヤーを通した三重構造のカテーテルを使用しており、この製品は、ターゲット社から発売されている、ポリエチレン・ポリプロピレン製のミニカテーテル及びプラチナコイルで覆われたスプリング形式のガイドワイヤーで、いずれも新製品であり、厚生省の認可も得ていたと認められ、その他、本件脳血管造影に使用されたマイクロカテーテル及びガイドワイヤーが、本来持つべき安全性、安定性につき欠陥を有していたことを裏付ける事情を認めるに足りる証拠はない。

(二)  カテーテルの操作ミスの存否

脳血管造影とは、前記のとおり、頸動脈、椎骨動脈に造影剤を注入し、動脈、毛細管、静脈内の造影剤の流れをX線フィルムで観察する方法であり、そのうち、マイクロカテーテルを、動静脈内に挿入し、頭蓋内の分岐部を超えて頭蓋内まで入れて造影する方法を超選択的造影法という。本件脳血管造影において、田中医師は親カテーテルを左椎骨動脈末梢に留置して、マイクロカテーテルを導入し、左後大脳動脈への挿入、左後傍脳梁動脈への挿入試み、後内側脈絡叢動脈への挿入、左後傍脳梁動脈への挿入試み、右後傍脳梁動脈への挿入試みを行っているが、右挿入はモニターの透視下で慎重に行われており、血圧上昇及び患者の意識状態に留意しつつ、花子が頭痛を訴えた場合には、その都度操作を中止し、直ちに頭痛が治まり脳血管の多少の屈曲によるカテーテルの牽引痛と見られる場合には操作を開始し、他方、嘔吐が発生し、頭痛が治まらない場合には操作を中止していたものであるから、右マイクロカテーテル等が抜去困難となった原因は、医師の無理な操作にあるとは考えにくく、かえってカテーテル挿入という機械的刺激による血管の攣縮によるものと認められるし、また、カテーテルが血管の攣縮により補捉された後の田中医師の措置についても、血管拡張剤であり即効性のあるペルジピン一ミリグラムをカテーテルから動脈内(左椎骨動脈)に投与し、その様子を見ながらカテーテルに弱い牽引力を与えるという作業を三回繰り返していたものの、結局離断するに至ったというものであり、さらに血管造影中にカテーテルが離断するとの報告が他症例にも見られること(証人田中英夫、鑑定の結果)からすると、カテーテルの操作に関する手技につき田中医師に過誤があったということはできない。

2  説明義務違反について

(一)  脳血管造影、血管内手術(塞栓術)及び定位的放射線療法について

証人田中英夫の証言、鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

血管内手術及び定位的放射線療法は、一九九〇年代から、脳動静脈奇形に対する治療法として取り入れられるようになり、治療成績を向上させてきた。東北大学医学部脳神経外科、教育関連病院広南会広南病院では、右疾患に対し、破裂出血により生じた血腫のため意識障害などが明かな症例には緊急開頭手術を行っているが、それ以外の症例は血管内手術を第一選択としており、全症例のおよそ六〇パーセント以上を占めている。被告病院においても、年間四、五〇例の血管内手術がなされている。もっとも、脳血管造影、血管内手術は、正常血管の閉塞、脳浮腫、動静脈奇形の破裂による出血などの合併症の危険性を伴い、また、カテーテルの留置、遺残などの報告も数件なされている。右医療機関において、一九八六年から一九九四年までに右血管内手術を施行した一三八の症例中、死亡例は一例(六回の出血の既症のある大脳深部の病巣であった。)、後遺障害例は七例であった。

(二) 脳血管造影、血管内手術(塞栓術)及び定位的放射線療法は、前記のとおり、脳動静脈奇形に対する有用な治療方法として評価され実績を上げていたが、同時に患者の身体に対する侵襲や危険を伴う治療行為であるから、医師は、右治療行為を採ろうとする場合、緊急を要し時間的余裕がない等の特別の事情がない限り、原則として、患者が当該治療行為を受けるかどうかを選択する前提として、患者の病状とその程度、医師が必要と考える治療行為とその内容、これによって生ずると期待される効果、これに付随する危険性、当該治療行為をしなかった場合に生ずると予想される結果についてなるべく具体的に説明する義務があると解するのが相当である。

(三) 前記認定のとおり、田中医師は、花子の脳動静脈奇形の治療方針を決定するにあたり、平成四年六月七日、花子自身に対し、脳動静脈奇形が存在すること並びにその大きさ及び部位を具体的に説明し、これに対する特効薬はほぼないこと、治療法としては塞栓術を段階的に施行した後に摘出術を行うという方法があること、但し、奇形の場所及び大きさから治療が非常に難しく、治療開始後の悪化により、神経症状や意識障害、場合によっては致死的となることもあること、右治療を行わなかった場合、脳動静脈奇形の再破裂の可能性が、脳内出血初年度は六パーセント、その後は年二、三パーセントあり、出血すれば生命に対する危険があることを説明しており、花子は、右説明を受けた上で、完治を望み、右治療行為を承諾したこと、その後の治療過程においても、塞栓術及び脳血管造影がなされる都度、花子及び家族らに対し、手術方法及び危険性についての説明がなされていたこと(この点、原告太郎も、担当医から、右病変の内容、治療行為として段階的塞栓術及び摘出術、塞栓術にあたっては、カテーテルと血管の摩擦により血管が切れる可能性や、脳動静脈奇形は小さいほど出血率が高くなり、治療が進むに連れそういった段階を経なければならないこと及び治療を行わなかった場合の再出血の可能性について説明を受けたと供述している。)からすると、田中医師の説明に適切を欠いた点があったことは認められず、原告らの説明義務違反の主張は採用できない。

五  結論

以上によれば、被告担当医師の本件医療行為について、原告らの主張する注意義務違反及び説明義務違反はいずれもこれを認めることができないから、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官田中澄夫 裁判官今中秀雄 裁判官島村路代)

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